プーシキン美術館所蔵浮世絵コレクション(18-19世紀)

カタログ

ジャンル

絵師

索引

プロジェクト
について

初期(十七世紀~十八世紀中葉)

十七世紀の初頭、木版の挿絵入り絵本が大量に出版されるようになりました。この絵本では、文章と挿絵が墨一色で摺られました。初期の「一枚絵」も同じく墨一色でしたが、やがて、手で軽く陰影をつけるようになりました(「丹(たん)絵(え)」)。さらに後になると、紅色を手で彩色するようになり(「紅(べに)絵(え)」)、また、漆をかけたような効果を出すために、濃い黒の絵の具が版画の黒い色の部分に手で彩色されました(「漆(うるし)絵(え)」)。十八世紀中葉になると、赤い絵の具を使って摺った版画が初めて現れます(「紅摺(べにずり)絵(え)」)。だんだんと、用いられる版木の数は増えていき、1765年には、「錦絵(にしきえ)」と呼ばれる、最初の多色摺(たしょくずり)木版画が誕生しました。

菱川師宣(ひしかわもろのぶ)は、一枚の紙に浮世絵を個別に摺る「一枚(いちまい)絵(え)」の誕生だけではなく、「美人画」の成立においても多大な貢献をしています。

十八世紀前半、浮世絵の最大流派の一つになったのが懐月堂(かいげつどう)派です。この流派の絵師たちは、あでやかな衣装をまとった芸者の全身像を描きました。その絵は、妓楼に住む人気の高い名高い美人たちについての、一種の宣伝のような役割を果たしました。

「げんろく」と呼ばれた奥村政信(1686-1764)は、手ではなく木版摺りで彩色を行う「多色摺(たしょくずり)」を1741年に初めて試みて以降、積極的に導入した最初の絵師です。また、細長い用紙に版画を摺った「柱(はしら)絵(え)」や、構図上の手法により遠近感を出した「浮(うき)絵(え)」などの浮世絵の新機軸をうち出しました。