プーシキン美術館所蔵浮世絵コレクション(18-19世紀)

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中期(1765-1804年)

この時期は、しばしば浮世絵の黄金期と言われ、多色摺木版画である「錦絵」が誕生した1765年から始まります。

多色摺の技術を確立したのは、鈴木晴信(1725-1770)でした。晴信は、用いる版木の数を、三~四枚から始めて、七~九枚にまで増やし、また、湿した紙に金粉や銀粉を摺りこむなど、この技術のもつ様々な可能性を積極的に試みました。新しい技術が、より複雑でコストがかかるにも係わらず導入されたのは、「摺物(すりもの)」という特別な木版画が流行するようになったからでした。摺物は、四季折々に際して、とりわけ元日を祝して、少数の愛好者向けに配るために少ない発行部数で出版されました。晴信はまた摺物の他に、カレンダーを描きこんだ特別な版画、「絵暦(えこよみ)」を普及させました。

晴信は、芸術的、造形的分野でも非常に重要な革新を起こします。彼は、独自の、特別な美人の型を創りだしました。懐月堂派の豪華で大柄な美人に替わって、晴信の美人は、華奢でうら若く、ほとんどまだ少女のような、非常に繊細で優美な娘でした。ほっとするような和やかさは鈴木晴信の全作品に共通する特徴です。

喜多川歌麿(1753-1806)は、もっとも名高い浮世絵の絵師の一人で、浮世絵の開花期における日本の伝統木版画の特徴の多くを決定づけました。その数多くの絵本、一枚絵の連作は、有名な版元、蔦屋(つたや)重三郎(じゅうざぶろう)との長年にわたる協働の結果、生まれたものでした。歌麿は、とりわけ、芸者の半身像、風俗画の組物(くみもの)や絵本、恋人たちを対で描いた肖像画で、その名を馳せました。

東洲(とうしゅう)斎(さい)写(しゃ)楽(らく)(活動期1794-1795年)の創作は、浮世絵史において、流派に属さない孤立した存在です。十か月の間に、上述の有名な版元、蔦屋重三郎の工房から、この絵師の手になる百四十点余りの様々な役に扮した歌舞伎役者の肖像画が出版されます。その後、写楽は忽然と姿を消してしまいました。その作品はすべて傑作とされています。鋭い性格描写、グロテスクと紙一重の表現、とことんまで突き詰めた体つきや身振り、顔の輪郭が、その人物像に類まれなる表情を生み出しています。

歌川豊国(1769-1825)、鳥居清長(1752–1815)、細田栄之(えいし)(1756-1829)、久保春(しゅん)満(まん)(1757-1820)など、その他の流派の代表的絵師たちもこの時代に活躍しました。